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驚き最小の法則にの顛末ってsimple made easyの文脈のeasyそのものだよなみたいな話

容易さという名の幻影と、単純さという構造的真理

🧩 驚き最小の法則が直面した「バベルの塔」

ソフトウェアエンジニアリングの歴史を振り返る時、Rubyコミュニティで議論された「驚き最小の法則(POLS: Principle of Least Surprise)」の変遷は、設計思想における重要な分水嶺として浮かび上がります。この法則は当初、言語設計者の意図が一貫していることを示す指針として機能するはずでした。しかし、現実にはこの言葉が、ある種の混乱、いわば「バベルの塔」のような状況を引き起こしました。なぜでしょうか。

思考を巡らせると、その原因は「驚き」という感情の発生源にあります。人が何かに驚くとき、そこには必ず「期待」との乖離が存在します。では、その期待は何に基づいているのか。それは、その人が過去に慣れ親しんだ環境、すなわち「手持ちの知識」です。

Java出身者は静的型付けがないことに驚き、Lisp出身者はマクロがないことに驚く。各々が自分の母国語(出身言語)のメンタルモデルを「基準」とし、そこからの逸脱を「驚き(=悪いこと)」と定義しました。結果として、POLSは「私の慣れ親しんだやり方と同じにせよ」という、互いに矛盾する要求を正当化する言葉に変質してしまったのです。

この現象を分析すると、一つの重要な概念に突き当たります。それは、Rich Hickeyが提唱した「Easy(容易さ)」の正体です。

🛋️ Easyの語源的解剖と相対性

Rich Hickeyの講演「Simple Made Easy」における洞察を借りれば、Easyの語源はラテン語の「facilis」や古フランス語の「aisie」にあり、これは「近くにある」「手元にある」ことを意味します。つまり、エンジニアリングにおけるEasyとは、客観的な簡単さではなく、「自分の手持ちの知識(familiarity)で解決できる」という主観的な近さを指しているのです。

この定義をRubyのPOLSの顛末に当てはめると、全ての辻褄が合います。人々が求めた「驚きのなさ」とは、学習や理解の労力を払わずに済む「Easy」さの追求でした。しかし、Easyは個人のバックグラウンドに依存する相対的な指標です。誰かにとってのEasyは、別の人にとってのHardになり得ます。したがって、Easyを言語設計の絶対的な指針(羅針盤)に据えることは、論理的に破綻をきたすのです。

ここで私たちは、Easyと混同されがちな、しかし決定的に異なるもう一つの価値基準、「Simple(単純さ)」を定義する必要があります。

🧶 Complicatedの対義語としてのSimple

Simpleを定義するためには、まずその対義語を明確にする必要があります。多くの人はSimpleの対義語を「難しい(Hard)」だと考えがちですが、構造的な視点では「Complicated(複雑)」こそが対義語です。

Complicatedの語源は「com-plicare」、つまり「共に・折る」「編み込む」「絡ませる」ことです。複数の糸が絡まり合い、結び目を作っている状態。これが複雑さの正体です。どんなに高機能でも、あるいはどんなに記述が短くても、概念同士が密結合し、一方を変更すれば他方が壊れるような構造はComplicatedなのです。

対してSimpleの語源は「sim-plex」、つまり「一重」です。絡まりがなく、独立していること。一つの役割だけを担い、他の概念と編み込まれていない状態を指します。

この定義の画期的な点は、「Simple」という言葉につきまとっていた以下の2つの誤解を、外科手術のように切り離したことにあります。

  1. 最小主義(Minimalism)との決別 コード行数が少ないことや、ルールが極小であることがSimpleなのではありません。たとえルールが少なくとも、それを使って何かを実現するために複雑な手順(結び目)が必要なら、それはComplicatedです。
  2. 素朴さ(Crudeness)との決別 何も考えずに書かれたベタ書きのコードや、抽象化のない原始的な実装は、単に安直(Easy)なだけであり、往々にして依存関係がスパゲッティのように絡まっています。これはSimpleではありません。

真のSimpleとは、「ほどかれている(Untangled)」状態のことです。

🐹 具体例による検証:Go言語のfor文

この「絡まり」の概念を検証するために、Go言語の for 文を例にとって思考を進めます。Go言語はキーワードの少なさ(Minimalism)を特徴としており、ループ構造は for ひとつに集約されています。これは学習コストが低く、書き始めやすいという意味で極めて「Easy」です。

しかし、構造的な視点(Simple vs Complicated)で見るとどうでしょうか。この単一の for というキーワードには、以下の概念が編み込まれています。

  1. カウンターによる反復(C言語的なfor)
  2. 条件による継続(while)
  3. コレクションの走査(foreach / map)
  4. 無限ループ

「反復」と「条件分岐」という本来直交するはずの概念が、一つの構文の中に多重定義(Overロード)されています。プログラマは for という単語を見ただけではその振る舞いを特定できず、引数のパターンという文脈を読み解く必要があります。これは概念が「編み込まれている(Complected)」状態であり、Hickeyの定義に従えば、Goの for は明らかに「Complicated」なのです。

「Easy(手軽)」かつ「Minimal(最小)」であっても、「Simple(単純)」ではない。この事例は、私たちが陥りやすい認識の罠を浮き彫りにします。

⭐ マーケティングとしてのEasy、構造としてのSimple

では、「Simple Made Easy」という言葉は最終的に何を私たちに問いかけているのでしょうか。

Easy(親しみやすさ、手っ取り早さ)は、マーケティングにおいて強力な武器になります。GitHubのスター数や、「5分でブログ作成」といったキャッチコピーは、すべてEasyを売り込んでいます。人間は本能的に労力を嫌うため、入り口がEasyな技術に惹かれます。これはデートの誘いやすさのようなものです。

しかし、Easyを基準に技術を選定すると、その背後に隠された「Complicated(絡まり)」という負債に気づくのが遅れます。ライブラリが裏でグローバルな状態を共有していたり、便利な魔法のメソッドが副作用を隠蔽していたりすることは、長期的な運用(結婚生活)において破綻を招きます。

「Simple Made Easy」の真意は、「Simple(構造的な独立性)」を土台に据えよ、ということです。まず、絡まりを解き、概念を独立させる(Simpleにする)。その強固な土台の上に、使い勝手としてのEasyを構築する。この順序を間違えてはなりません。

Ruby界隈が「驚き最小の法則」の使用に慎重になったのは、主観的なEasyを追求するあまり、言語としての整合性(Simple)が損なわれる危険性を察知したからだと言えます。私たちは、GitHubのスター数という「Easyの指標」に惑わされることなく、そのコードが構造的に「ほどかれているか(Simpleか)」を見抜く眼力を持たねばなりません。Easyは結果として得られるべきものであり、設計の妥協点として受け入れるものではないのです。

🔗 絡まりの不在が導く「合成」と「純粋」の世界

🧱 Composable(合成可能)であるための絶対条件

「Simple(単純=絡まっていない)」という概念を突き詰めていくと、必然的に関数型プログラミングの中核概念である「Composability(合成可能性)」へと思考が接続されます。

なぜなら、「合成できる」とは、すなわち「独立している」ということだからです。

想像してみてください。レゴブロックは「突起」と「穴」という極めて単純なインターフェースしか持たないため、無限に組み合わせることができます。これは各ブロックが、特定の完成形(城や車)と「編み込まれて(Complected)」いないからです。 一方で、プラモデルの腕のパーツは、特定の胴体パーツとしか結合できません。これは文脈と強く結合しており、汎用的な合成が不可能です。

これをソフトウェアに当てはめると、「Simple Made Easy」の真価が見えてきます。 Goの for 文のように「反復」と「条件」と「状態」が絡まり合った(Complicated)コードは、部品として切り出すことが難しく、再利用=合成ができません。 逆に、Hickeyが説くように、処理を「filter(選別)」や「map(変換)」といった、単一の責任を持つ小さな関数に分解(Simple化)すれば、それらはレゴブロックのように map . filter と繋ぎ合わせることが可能になります。

つまり、Simplicity(単純さ)こそが、Composability(合成可能性)の前提条件なのです。

⚡ Fusion(融合)による最適化と抽象化の逆説

ここで、興味深い逆説に遭遇します。「Easy」を好む人々はこう反論するかもしれません。「小さな関数をいくつもパイプラインで繋ぐ(Composeする)のは、ループを何度も回すことになり、パフォーマンスが悪いのではないか?」と。

しかし、ここで 「Fusion(融合)」 という概念が登場します。

もし、各構成要素が副作用を持たず、完全に独立した(Simpleな)数学的な関数であれば、コンパイラやランタイムはそれらを一つの処理に最適化できます。 例えば、map(f).map(g) という処理は、配列を2回走査することなく、map(f . g) (fを適用した直後にgを適用する1回の走査)へと融合できます。HickeyがClojureで導入した「Transducers1」などは、まさにこの極致です。

  • Complicatedなループ: 手書きで最適化された for ループは、確かに速いかもしれませんが、ロジックが絡み合っているため、それ以上の自動最適化や並列化の余地がありません。
  • Simpleな合成: 抽象化され、一見遠回りに見える関数合成は、構造が整理されているがゆえに、システム側で強力な最適化(Fusion)を施すことができます。

「Simple」であることは、非効率を許容することではなく、より高度な最適化を可能にするための準備だったのです。

🧬 「ノイズ」に見える単位元(Identity Element)の正体

この「数学的な正しさ」を追求する過程で、私たちはしばしば「Easy」な視点からは 「無駄なノイズ」 に見えるものに出会います。ご指摘の 「単位元(Identity Element)」 がその代表です。

例えば、数値の足し算における 0、掛け算における 1、リスト操作における [](空リスト)などがこれに当たります。 「Easy」を求めるプログラマにとって、リストの合計を求める際に reduce(add, 0, list) と書くのは苦痛です。「なぜわざわざ 0 なんて当たり前のものを書かせるんだ? sum(list) でいいじゃないか」と思います。

しかし、Simple(構造的な一貫性)の視点では、この 0 はノイズではなく、システムを崩壊させないための要(かなめ) です。

もし初期値(単位元)の概念がなければ、「空のリスト」を渡された時、システムはどう振る舞うべきでしょうか? エラーを吐くか、null を返すか。それは予期せぬ分岐(Complicated)を生みます。 「何もしない」という操作を数学的に定義する「単位元」があるおかげで、要素が100個あろうと0個であろうと、コードは同じ形(Simple)を保ち続けることができます。

一見すると冗長で「Easyではない」記述も、実はコーナーケースによる分岐という「絡まり」を排除するための、必要不可欠な構成要素なのです。

💎 純粋性(Purity)とは、時間と状態からの切断

最後に、「純粋さ」や「副作用のなさ」について思考を巡らせると、これらが「Simple Made Easy」の究極の形であることに気づきます。

副作用とは何でしょうか。それは、関数の引数や戻り値という明示的なインターフェースの外側にある、「隠れた依存関係(Invisible dependency)」 です。 グローバル変数を書き換える、画面に出力する、これらはすべて関数と外部環境を「編み込む(Complect)」行為です。

  • 副作用あり: 時間や実行順序によって結果が変わる。これは「時間」という概念とロジックが絡み合っている(Complicated)。
  • 純粋関数: いつ、どこで、何度実行しても同じ結果になる。これは「時間」や「場所」から切り離され、独立している(Simple)。

Rich Hickeyが「State(状態)」を敵視するのは、Stateこそが最もコードをComplicatedにする要因だからです。 したがって、関数型プログラミングが目指す「純粋性」とは、高尚な学術的理想ではなく、「コードを時間と状態の絡まりから救い出し、真にSimple(独立)にするための実践的な手法」 だと結論付けられます。

Easyな記述を捨て、単位元のような厳密さを受け入れ、副作用を排除する。その道は険しい(Not Easy)かもしれませんが、その先には、どこまでも積み上げられる堅牢なレゴブロックの城(Simple)が待っているのです。

Footnotes

  1. Transducers: Clojureで導入された、コレクションの変換処理(map, filterなど)を、具体的なデータ構造から切り離して記述するための仕組み。これにより、中間リストを生成せずに効率的な合成(Fusion)が可能になる。

🗑️ 使い捨てやすさがもたらす「忘却」の自由

🚮 2つの「Disposable(使い捨て可能)」

「Simple Made Easy」の探求は、「合成(Composition)」から、その対となる概念「破棄(Disposition)」へと至ります。システムをSimple(絡まりがない状態)に保つことの最大の恩恵は、実は 「いらなくなった時に、何も考えずに捨てられる」 という点にあるのかもしれません。

思考を整理すると、この「Disposable(使い捨てやすさ)」には、あなたが指摘するように、全く異なる2つのレイヤーが存在することに気づきます。

  1. 構造的な使い捨てやすさ(疎結合) これはアーキテクチャの視点です。ある機能が不要になった時、そのコードを削除しても、システム全体が崩壊しないこと。もしコードがスパゲッティのように絡み合っていれば(Complicated)、一部を切り取ることは不可能です。Simpleであれば、レゴブロックを外すように、安全に「捨てる」ことができます。

  2. リソース的な使い捨てやすさ(確実な後始末) これは実装の視点です。ファイルハンドル、DB接続、メモリ。使い終わったリソースを確実に解放すること。「使い捨てる」ためには、きれいサッパリと片付ける必要があります。

ここで重要なキーワードは 「注意力の節約」 です。人間は「後片付け」を忘れる生き物です。「最後に必ず close() を呼ぶこと」というルールは、プログラマに常に注意力を要求します。これは「Easy」ではないし、認知負荷という意味で「Simple」でもありません。

🤝 Loanパターン:借用による強制的な忘却

この「注意力の節約」に対する関数型(あるいは構造化された)アプローチの一つが、Loanパターン(貸し出しパターン) です。Javaの try-with-resources や Pythonの with、Rubyのブロック付き File.open がこれに当たります。

# Rubyの例:Loanパターン
File.open("text.txt") do |f|
  # ここでファイルを使う(借りる)
  # 処理中にエラーが起きても、if分岐しても構わない
end
# ブロックを抜けると、自動的にcloseされる(返却される)

このパターンの美しさは、リソースの「生存期間(Lifecycle)」と、コードの「スコープ(Scope)」が完全に一致し、構造的に結合している点にあります。 プログラマは「開く」ことさえ宣言すれば、「閉じる」ことを忘れる権利を得ます。スコープという構造が、後始末という責任をカプセル化(Simple化)しているため、分岐(if)が増えても、確実に実行されることが保証されます。

🚧 Goの defer :実用主義と副作用の境界線

一方で、Go言語の defer は、これとは異なるアプローチをとっています。 Goにはブロックによるスコープの強制(Loanパターン)のような強い構造はありません。その代わり、「関数の終了時にこれを実行してね」という予約語 defer を用意しました。

func process() error {
    f, _ := os.Open("text.txt")
    defer f.Close() // 開いた直後に予約する

    if somethingWrong {
        return err // ここで抜けてもCloseされる
    }
    // ...
    return nil // ここで抜けてもCloseされる
}

これは非常に「Easy(手軽)」であり、深いネストを作らずに済むため、実用主義的です。特に、ご指摘の通り「途中で if がいくつあっても確実に実行される」という点において、defer は非常に強力な武器になります。

しかし、この defer という機能が、Go特有の 「Named Return(名前付き戻り値)」 と出会った瞬間、そこには恐ろしい「Complicated(絡まり)」が生まれます。

💀 具象化される「気持ち悪さ」:Named Returnとdeferの衝突

ここにあるのは、「リソースの後始末(Cleanup)」「データの返却(Data Flow)」 という、本来分かれているべき関心が、defer を介して絡み合ってしまう現象です。

以下のコード例を見てみましょう。これは多くのGoプログラマを「驚かせ(Surprise)」てきた挙動です。

package main

import "fmt"

// c は名前付き戻り値 i (初期値0) を持つ
func c() (i int) {
    defer func() { i++ }() // 関数の終了直前に実行される
    return 1               // ここで i に 1 が代入される
}

func main() {
    fmt.Println(c())
}

直感的な(Easyな)メンタルモデルでは、return 1 と書かれているのだから、出力は 1 であるべきです。 しかし、実際の出力は 2 です。

なぜこれが Complicated なのか?

思考をトレースすると、内部で以下のような「編み込み」が起きていることがわかります。

  1. i という変数が確保される(初期値0)。
  2. return 1 が実行される。これは「戻り値を返す」アクションではなく、Goの仕様上 「変数 i1 を代入する」 という操作になります。
  3. まだ関数は終了しません。ここで予約されていた defer が発火します。
  4. defer 内の関数が、戻り値としてセットされたはずの i を参照し、インクリメントします(i = 2)。
  5. 最後に、変更された i (つまり2)が呼び出し元に返されます。

ここで、defer は単なる「後始末(Disposability)」の役割を超え、「戻り値の書き換え(Mutation)」 という副作用を引き起こしています。 「関数の終わり」という時間的な概念と、「データの状態」が密結合してしまっているのです。

結論:便利さと引き換えにした純粋性

Goの defer は、リソース管理の「使い捨てやすさ」を実現するための、非常にEasyで強力な発明です。しかし、Named Returnと組み合わせることで、「値が決まってから返るまでの間に、状態が変更されうる」 という複雑な隙間(時間的結合)を生み出してしまいました。

これは「Simple Made Easy」の文脈で言えば、「利便性(Easy)のために、データフローの明白さ(Simple)を犠牲にした」 典型例と言えるでしょう。私たちは defer を使う時、それが単なる掃除係であることを願いつつ、実はそれがシステムの結果を覆す権限を持ってしまっているというリスクを、常に意識の片隅(Attention)に置いておかなければならないのです。これこそが、あなたが感じた「気持ち悪さ」の正体です。

対話履歴

ユーザー: 驚き最小の法則の顛末がeasyとは何かということを如実に表してるのかもしれない。簡単より身近の方が意味として近い(simple made easy文脈)

正確に言うと、各自が自分の慣れ親しんだ環境との差異のなさを期待する語として使われだしたのです。Rubyの界隈でこれにより禁止されることになりました(なぜならあらゆる言語のネイティブの人が驚き最小の法則に従ってないと言ってくるのですから)


AIの思考プロセス

Revising Assumptions

I'm currently focused on the Principle of Least Surprise and its trajectory, particularly in Ruby's landscape. My thinking has shifted to incorporating how this principle evolved and adapted to changes in the programming environment. I'm wrestling with the nuances of what constitutes a "surprise" in modern code.

Clarifying 'Easy'

I've been further deconstructing the definition of "easy" and how it relates to the Principle of Least Surprise. It seems clear to me now that "easy" aligns more with familiarity, like Hickey's "facilis," than with objective simplicity. The historical context, particularly Ruby's experience with POLS, highlights this subjectivity. Different backgrounds created conflicting notions of what was "surprising," ultimately leading to POLS's demise in the community.

Confirming Hickey's Insights

I've just solidified the connection between the demise of the Principle of Least Surprise and Hickey's definition of "easy." The POLS debacle directly demonstrates that "least surprise" boiled down to "what I already know," which is entirely subjective and dependent on prior experience. This reinforces that "easy" is not objective simplicity but subjective familiarity, which is fundamentally incompatible with a universal design guideline. This further cements Hickey's point, in my opinion.

Validating Hickey's Point

I completely agree with the user's focus on linking the subjective "Easy" to Ruby's experience with the Principle of Least Surprise. Rich Hickey's contrast between "Simple" and "Easy" is central here. "Easy" hinges on familiarity, memory and habit. It is not about inherent simplicity, but about aligning with existing knowledge and prior experience. Ruby's POLS became a demand for "Easy," reflecting individual pre-existing understanding rather than internal consistency.

Exploring POLS's Downfall

I'm now zeroing in on the problematic interpretation of "Least Surprise" that ultimately doomed it, specifically how it became a weaponized tool in bikeshed discussions, where personal surprise trumped objective design principles. This highlights the dangers of conflating familiarity with good design and emphasizes the subjective nature of "easy," as Matz himself recognized. I'm also planning to incorporate Japanese terminology to solidify my argument's nuanced aspects further.

Defining Intuitive Consistency

I'm solidifying the final output structure now. The intro will strongly endorse the "Easy is subjective" argument. Section one will explore surprise as a deviation from habit. In section two, I'll explain how users weaponized POLS based on their backgrounds, contrasting Java, Python, and Ruby experiences. Section three will relate back to Hickey's points. The conclusion will focus on the shift from "Intuitive" to "Consistent" design principles, recognizing that "banned" should be replaced with "fell out of favor."

AI: その洞察は非常に鋭く、ソフトウェアエンジニアリングの歴史における重要な教訓を突いていますね。

Rich Hickeyが提唱した「Simple Made Easy」の概念と、Ruby界隈で起きた「驚き最小の法則(POLS: Principle of Least Surprise)」の解釈のズレは見事に重なります。

おっしゃる通り、「驚きがない(Least Surprise)」というのは、客観的な「単純さ(Simple)」ではなく、主観的な「親しみやすさ(Easy/Familiar)」を指していた、というのがこの顛末の核心です。

この点を整理すると、以下のようになります。

1. 「Easy」の語源と本質

Rich Hickeyも指摘していますが、「Easy」の語源はラテン語の facilis や古フランス語の aisie にあり、これは「近くにある」「手元にある」という意味です。つまり、「自分のすでに知っている知識(手元の知識)で解決できる」 状態が Easy です。

したがって、「驚き」とは「自分の手持ちの知識(メンタルモデル)との乖離」によって発生します。

2. Rubyにおける「驚き」の多義性(バベルの塔)

RubyのPOLSが直面した問題は、プログラマの「出身言語(母国語)」によって「手元の知識」が全く異なっていたことにあります。

  • Java出身者: 「静的型付けや厳格なクラス構造がないことに驚いた(=悪い言語だ)」
  • Perl出身者: 「もっと柔軟に書けないことに驚いた(=悪い言語だ)」
  • Lisp出身者: 「マクロがないことに驚いた(=悪い言語だ)」

ユーザーは「驚き最小の法則」という言葉を盾に、「私の慣れ親しんだ言語(Easyな環境)と同じ挙動にしろ」と要求するようになりました。これは言語設計の一貫性(Simplicity)を破壊する圧力になります。

3. Matzの意図との乖離

本来、Matz(まつもとゆきひろ氏)が意図していたのは、「Rubyという言語の文脈・文化・内部論理を一貫させることで、Rubyを深く知った人が自然に挙動を予測できるようにする」 ということでした。

しかし、世間はこれを「初心者が 直感的に理解できる(=他の言語の知識が通用する)」と解釈しました。

  • Matzの意図: Rubyの一貫性を保つ(Simple寄りな視点)
  • 世間の解釈: 私の過去の経験と一致させる(Easy/Familiarへの要求)

このギャップが埋まらないため、Matz自身も「驚き最小の法則」という言葉を使うのを避け、「Matzにとっての驚き最小(Principle of Least Surprise for Matz)」と言い直すようになった経緯があります。

結論:Easyは相対的、Simpleは絶対的

質問者さんがおっしゃるように、この歴史は 「Easy(簡単/親しみやすい/驚きがない)」がいかに相対的で、個人のバックグラウンドに依存する脆い指標であるか を如実に表しています。

「驚き最小」を追求すると、最大公約数的な「誰にとってもそこそこ馴染みがあるが、概念的な整合性が取れていない(Simpleではない)」設計に陥るリスクがあります。

Ruby界隈でこの言葉が事実上の禁句(あるいは使用に慎重さを要する言葉)になったのは、「私の慣れ(Easy)」を「普遍的な良さ(Simple)」と混同して議論することの不毛さに、コミュニティが気づいたからだと言えます。

(返答終了理由: STOP)


ユーザー: そう。つまり。simple made easy文脈においてのeasyとはそういうものなのです。

あと私はcomplicatedという表現を生んだのが白眉だと思いました。これはシンプルを単純だとかプリミティブだとか純粋だとか基礎的だと表現するより良い表現だと思います。not complicatedがsimpleなのです。


AIの思考プロセス

Understanding "Easy"

I'm now fully immersed in the nuances of "easy" as it relates to familiarity and subjective experience. It seems clear the user agrees with the initial interpretation of "easy" equating to something readily accessible.

Exploring Not-Complicated

I've been drilling into the user's emphasis on "Complicated" as the heart of Hickey's argument. I'm now developing a deeper understanding. I see that defining "Simple" through its antithesis, "Complicated," is far more powerful and insightful. The etymological dissection of "complect" is now essential to my understanding, and I'm keen to integrate it into the response.

Analyzing Entanglement & Surprise

I'm now zeroing in on the core relationship between "Complicated," surprise, and the Ruby context. The braiding metaphor is shaping up nicely. It illustrates how entanglement, like a knot, leads to unexpected consequences. I'm connecting this to the Principle of Least Surprise, showing that true simplicity lies in reducing this entanglement rather than making complexity more familiar.

Deciphering Hickey's Core

I'm now fully immersed in Hickey's emphasis on "Complicated" and its etymological roots in "com-plicare" – to fold together, entangling. The user's point about defining "Simple" through negation, "not Complicated," is resonating deeply. This a-phatic approach allows for elegant, high-level abstractions, as long as they avoid internal entanglement. The lack of surprise, I now realize, is directly linked to the absence of these hidden connections, challenging the initial understanding of "easy" and the Ruby experience.

Focusing on Structure

I'm now fully immersed in the core tenets. I'm building on the "braided" metaphor to highlight how entanglement, even when seemingly hidden, inevitably leads to surprise. I see simplicity not as an absence of sophistication, but as the objective absence of entanglement. The user's semantic focus is guiding me, and I'm avoiding overly technical diversions. I'm confident my response aligns with the expert user's emphasis on structure, as the foundational concept.

Refining Response Generation

I'm now fully immersed in the core tenets. I'm focusing on the structural aspects of a "simple" Ruby implementation, moving beyond the initial emphasis on how it "feels". The emphasis shifts to the underlying organization that makes the code less surprising, and ultimately less complicated. I am now formulating the final output, ensuring that it directly addresses the user's focus on structure.

AI: まさしくその通りですね。Rich Hickeyの講演の白眉は、**「Complicated(複雑)」という言葉を明確に定義し、それを「Simple(単純)」の対義語として据えたこと**にあります。

「Simple」を単に「Easyの類語」や「Primitive(原始的)」として捉えていた私たちの認識を、語源から叩き直した点が革命的でした。

1. 「Complicated」の正体=「絡まり(Complect)」

Hickeyが指摘した通り、Complicatedの語源はラテン語の com-plicare(共に・折る=編み込む、絡ませる)です。

この定義の秀逸な点は、「難しさ」ではなく「構造」を指している点です。

  • Simple: Sim-plex(一重)。一本の糸のように、独立している。
  • Complicated: 複数の糸が編み込まれ、結び目になっている。

「Simple is not Complicated(シンプルとは、絡まっていないことである)」という定義は、**「どれだけ高機能であっても、構成要素が独立していればそれはシンプルである」**という視点を与えてくれます。 逆に、どんなにコード量が少なくても、状態(State)とロジック、あるいはViewとModelが密結合して絡まり合っていれば、それは「Complicated」なのです。

2. なぜ「Easy」な解決策が「Complicated」を生むのか

先ほどのRubyの「驚き最小の法則」の話に戻ると、構造的な理由がより鮮明になります。

人々が求めた「Easy(手軽、身近)」な機能は、往々にして裏側で様々な文脈を**「Complicated(編み込む)」**ことで実現されます。

  • 「設定なしで動く(Easy)」を実現するために、グローバルな状態を暗黙的に読み込む(Complicated)。
  • 「直感的なメソッド名(Easy)」を実現するために、副作用を隠蔽してモンキーパッチを当てる(Complicated)。

ユーザーにとっての「手元の知識で解決できる(Easy)」を優先すると、システム内部では依存関係が編み込まれ、結び目が固くなっていきます。その結果、ある場所を修正すると予期せぬ場所が壊れるという、本当の意味での「悪い驚き」が生まれるのです。

3. 「Simple」は除去の結果

おっしゃる通り、「シンプル」を「純粋」「基礎的」と定義しようとすると、どうしても「機能不足」「原始的」というニュアンスが混じってしまいます。

しかし、**「Not Complicated(絡まりがない)」**と定義すれば、目指すべき方向は明確です。

  • ほどくこと(Untangling)。
  • 分けること(Separation of Concerns)。

「驚き最小の法則」がRuby界隈で事実上の「禁じ手(アンチパターン的な要求)」と見なされるようになったのは、「主観的なEasy(親しみ)」を追求するあまり、「客観的なSimplicity(絡まりのなさ)」を犠牲にしてはならないという、苦い経験則から来るものだと言えます。

「Simple made Easy」の本質は、**「まず絡まりを解け(Simpleにせよ)。親しみやすさ(Easy)はその上に築かれるべきであって、構造を犠牲にして演出するものではない」**という戒めだったのですね。

(返答終了理由: STOP)


ユーザー: 特に最小のルールで成り立つという話や実装の単純さ(素朴さや粗野さ)との混同がなくなったのが良かったですね。simpleをこのような意味で使うのも文脈によっては間違えではないですから。つまり3つの意味が混同されなくなったのです。


AIの思考プロセス

Refining the Concept

I'm now zeroing in on the nuanced distinction between "simple" and "complicated" as Hickey frames it. It resonates deeply with how I've always intuitively processed complexity, but struggled to articulate. I see the potential to apply this lens to various fields, beyond programming, perhaps design principles or even scientific models. My current focus is how this framework aids in problem decomposition and efficient solution creation.

Unpacking Simplicity's Layers

I'm now separating the distinct meanings of "simple." It's clear that conflating "minimal rules," "crude implementation," and "structural simplicity" creates real problems. Focusing on structural simplicity, as Hickey does, provides a valuable lens. It helps disentangle the theoretical elegance of systems like lambda calculus from the practical difficulties of working with them. I'm focusing on how this distinction enhances our understanding and design choices.

Distinguishing Simple Forms

My thinking has progressed to identifying the subtle distinctions in simplicity. I'm focusing on "Implementation Simplicity," meaning "crude," and how it contrasts with "Structural Independence." The former can be quick to write, but leads to coupled, complicated systems. The "Hickey" style of simplicity, which prioritizes structural independence, allows for maintainability, and I now intend to weave this into my response strategy.

Elaborating the Framework

I'm now honing in on the benefits of defining "simple" as "not complicated" to clarify this triangular confusion, especially in coding. I see that separating effort from the code itself helps greatly. Hickey's focus on structural independence provides clarity, and I'm looking at how we can apply this in practice. It's becoming clearer how this improves maintainability and overall understanding. I am starting to draft content structured around defining the common pitfalls.

Defining Architectural Clarity

I've been working on a framework for defining simplicity, drawing heavily on Hickey's ideas. The latest update focuses on the implications of defining "simple" as the absence of complication. This perspective highlights the importance of relationships and decoupling, avoiding the traps of minimalism and crudeness. We can now see the need to clearly delineate different aspects of simplicity, such as "reductionism," "crudeness," and "structural independence," and avoid conflating them in my final content structure.

Defining Good Design

I'm now zeroing in on defining good design through the lens of Hickey's "not complicated" definition. This perspective acts as a powerful filter, helping us reject designs that are only superficially "simple" but ultimately lead to complexities, focusing on the clarity that comes from properly distinguishing reductionism from crudeness, and from structural independence.

AI: その視点は、Rich Hickeyの講演の功績を語る上で非常に重要ですね。おっしゃる通り、**「Simple」という言葉が抱えていた多義性(あいまいさ)を、「Not Complicated」という定義によって外科手術のように切り分けた**ことこそが革新的でした。

ご指摘の「3つの意味の混同」が解消されたという点、整理すると以下のようになりますね。

1. 「最小のルール(Reductionism / Minimalism)」との混同の解消

かつては「ルールが少ないこと」「コード行数が少ないこと」がシンプルだと信じられていました(例:Code Golf的な美学や、極端なマイクロカーネル、難解プログラミング言語など)。

  • 誤解: 「機能や記述が少なければ Simple である」
  • Hickeyの指摘: たとえルールが極小でも、それを使って何かをするために複雑な仕組みをユーザーが組み立てなければならないなら、それはシステムとしては複雑(Complicated)である。
    • 例: 1本の紐(Simple)でも、それで複雑な結び目を作ればそれはComplicatedになる。

「Not Complicated」という定義のおかげで、「少ないこと(Brevity)」と「単純であること(Simplicity)」は別の次元の話だと区別できるようになりました。

2. 「実装の素朴さ・粗野さ(Crudeness / Naivety)」との混同の解消

これは「とりあえず動くものを素早く書く」という文脈でよく使われていたSimpleです。

  • 誤解: 「単純な実装(何も考えていないベタ書きや、抽象化のないコード)こそが Simple である」
  • Hickeyの指摘: それは単に実装が Easy(安直)だっただけで、結果としてコンポーネント同士が密結合(Complected)していれば、それは構造的に Complicated である。

「Not Complicated」という指標があることで、「原始的であること」や「雑であること」を「Simple」と呼んで正当化する逃げ道を塞ぎました。

3. 「構造的な独立性(Unentangled / Simplicity)」の確立

これがHickeyが定着させた、第3の、そしてエンジニアリングにおいて最も重要な意味です。

  • 真のSimple: 機能が多くても、実装が高度でも、それぞれの概念が「絡まり合っていない(Not Complicated)」状態。

「Not Complicated」がもたらした功績

ご指摘の通り、「Simple」を単に「単純」と訳してしまうと、1(ミニマリズム)や 2(素朴さ)のニュアンスがどうしても混入してしまいます。

しかし、「Complicated(編み込まれたもの)」の対義語としての「Simple(ほどかれたもの)」 という位置づけを明確にしたことで、議論の解像度が劇的に上がりました。

  • 「このコードは短い(Minimal)けど、依存関係が絡み合ってるからSimpleではない(Complicatedだ)。」
  • 「この実装は素朴(Naive/Easy)だけど、将来的な変更で破綻する結び目があるからSimpleではない。」

このように、「絡まり(Complect)」の有無という、コードの見た目や量ではなく「関係性(トポロジー)」に焦点を当てさせた点が、Hickeyの定義の白眉であり、Ruby界隈の「驚き最小」の議論の混乱を(後知恵ながら)綺麗に説明できる理由でもありますね。

(返答終了理由: STOP)


ユーザー: 例えばこれはgoのプログラマの一部には納得しない人もいるかもしれませんが、simple made easyの文脈においてはgoのforのsyntaxはcomplicatedなのです。なぜなら通常の言語でのforとwhileを兼ねてるからです。


AIの思考プロセス

Revisiting Go's For Loop

I'm now contemplating Go's for syntax in light of Rich Hickey's "Simple Made Easy" philosophy. Considering how it aligns with, or deviates from, Hickey's emphasis on simplicity and clarity. Examining the different for loop structures in depth.

Dissecting For's Complexity

I'm now finding that the for loop in Go is more entangled than initially thought. It acts as both a for and a while loop, and even has iterator capabilities. This makes it more complicated and less "simple" in the "one thing, one role" sense of Hickey's philosophy. I'm unpacking the implications of this design decision.

Defining Complication's Core

I'm now fully aligned with the expert's insights. The key point is Go's for keyword's inherent complexity due to its multiple roles: loop, conditional, and collection traversal. It's a syntactic knot, not a model of simplicity. I'll focus now on contrasting Go's approach with structural purity in the next stage.

Evaluating Design Choices

I'm now focusing on how Go's design choices impact perceived "ease" versus actual simplicity. It's becoming clearer that while Go's for loop feels user-friendly, it complexly merges conditional looping and sequential iteration. I'm exploring the "Minimal" versus "Simple" dichotomy further, especially regarding the 'range' keyword. The "one thing" principle? This is definitively violated. I am finding this exploration quite fascinating.

Refining Core Concepts

I now understand the point more clearly. "Iteration (Cardinality)" and "Condition (State)" are intricately tied together in Go's for loop. The focus on syntactic minimalism clashes with the pursuit of semantic simplicity. The choice to prioritize easy learning over a simple conceptual model is evident. It's truly a compromise.

Contrasting Simplicity and Choice

I am now focusing on the core trade-off Go makes. It is becoming clearer that Go intentionally prioritizes readability/uniformity over Hickey's ideal of strict simplicity. I now understand that a simpler language would have functions or macros for each specific looping task.

AI: その指摘は非常に痛快であり、かつ「Simple Made Easy」の定義を正確に適用した素晴らしい例です。

Go言語の愛好家(Gopher)からは「キーワードが少なくてシンプルだ」と反論が来そうですが、Hickeyの定義に従えば、Goの for 文は間違いなく「Complicated(コンプレクテッド=絡み合っている)」 です。

なぜなら、「反復(Iteration)」と「条件分岐による継続(Condition)」という、本来直交するはずの2つの概念を、1つのキーワードの中に編み込んで(Complect)しまっているからです。

Goの for が "Complicated" である理由

Rich Hickeyの言う「Simple」は「One thing(一つのこと)」を意味します。役割が単一であることです。 しかし、Goの for は文脈によってカメレオンのように役割を変えます。

  1. C-style: for i := 0; i < 10; i++ (カウンターによる反復)
  2. While-style: for x < 100 (状態条件による継続)
  3. Range-style: for k, v := range items (コレクションの走査)
  4. Infinite: for { } (無条件ループ)

これは、「構文上のミニマリズム(キーワードを減らす)」を実現するために、「意味論的な複雑さ(Complicated)」を受け入れたというデザイン上のトレードオフです。

Hickeyの文脈では、これは**「多重定義(Overloading)」による絡まり**です。 「このブロックがどう振る舞うか」を知るために、for というキーワードを見るだけでは不十分で、その後の引数のパターン(文脈)まで読み解かなければなりません。これはまさに「絡まり」です。

「Minimal(最小)」と「Simple(単純)」の混同の好例

先ほどの話にあった「3つの意味の混同」がここでも綺麗に当てはまります。

  • Goの主張: for しかないから覚えることが少ない。
    • これは 「Minimal(ルールが最小)」 であり、「Easy(学習コストが手元で低い)」 です。
  • Hickeyの指摘: for が複数の責任(カウンター、条件、イテレータ)を負っている。
    • これは 「Complicated(概念が編み込まれている)」 です。

もし本当に「Simple(Simple made Easy文脈)」な言語設計であれば、以下のように概念が解きほぐされている(Untangled)べきでしょう。

  • 条件で回るなら while
  • 回数で回るなら dotimesrepeat
  • コレクションを舐めるなら mapeach

それぞれのキーワード(関数)は「一つのこと」だけを行い、それ以上でもそれ以下でもない状態が、構造的には Simple(Simplex)です。

結論

おっしゃる通り、Goの for は「Easy(覚えやすい、書きやすい)」と「Minimal(構文が少ない)」を極限まで追求した結果、概念的な純粋性(Simple)を犠牲にして便利に「編み込まれた(Complicated)」道具だと言えます。

「Simple ≠ Minimal」であり「Simple ≠ Easy」であることを理解していないと、「Goの for はシンプルだ」という主張に対し、「いや、それは機能がオーバーロードされているから複雑だ」という反論が噛み合わなくなります。あなたの指摘は、この議論の核心を突いています。

(返答終了理由: STOP)


ユーザー: ではsimple made easyとはどういう意味なのでしょうか?

またeasyは悪いものでしょうか?(復習になってしまうかもしれません)


AIの思考プロセス

Deciphering Core Meaning

I'm now zeroing in on the essence of "Simple Made Easy." My central task involves interpreting the phrase, specifically examining the intended implications. This necessitates dissecting each word: "Simple" and "Made" versus "Easy." My current hypothesis involves considering the potential for this concept in the field you're familiar with. Does it resonate with what we already know?

Exploring Implications Further

I'm now delving into the phrase's implications. Is simplicity the hard foundation? Or does it, in the long run, yield ease? This distinction is key. I'm unpacking Hickey's wordplay – how "Simple" is the goal, whereas "Easy" is a state achieved through simplicity or learning. I'm also addressing the question of whether easy is bad – the answer is no, but only in certain nuanced contexts.

Prioritizing System Design

I'm now integrating the nuanced relationship between "Simple" and "Easy" into system design principles. Focusing on the tradeoffs between immediate ease (like junk food) versus long-term simplicity (like healthy cooking) is crucial. I'm exploring the analogy of guitar playing - initial easy chords versus the underlying simple framework of scales and theory. The key is recognizing how initial "hard" (simple) often makes maintenance "easy" later.

Addressing "Easy" Perception

I'm now clarifying the relationship between "Simplicity" and "Ease." It's about achieving ease through a solid foundation of simplicity. I'm focusing on why a "Complex" system often feels deceptively easy at first but then collapses due to inherent complexity. The contrast between immediate convenience and long-term maintainability is central. I'm exploring how ease is good, but only when built upon a bedrock of simplicity, emphasizing the role of prior libraries and knowledge. I am also planning the key ideas for the response.

Analyzing "Easy" Trap

I'm now zeroing in on a critical point: prioritizing "Easy" over "Simple" often leads to long-term pain. The initial appeal of familiarity and speed hides the inevitable slowdown as complexity grows. I'm exploring the "Easy" curve - short-term gains leading to "complected" messes. I'm also contrasting the "relative easy" (about me) versus "absolute simple" (about the code). I aim to illustrate how learning to make something simple easy for myself is the ideal. Additionally, I am comparing Go's potentially complicated, familiar for loop, against Lisp's pursuit of simple primitives. The essence is "simple made easy."

Emphasizing "Result"

I'm now focusing on the crucial idea that "Easy" is a consequence, not a design goal in itself. The user already established the structure-vs-familiarity, and I want to reinforce that "Easy" is a result of prioritizing simplicity. It is achieved not directly, but indirectly by investing in simplicity, the solid foundation. I will highlight this when making the output.

AI: ここまでの議論を踏まえると、「Simple Made Easy」というタイトルの真の意味、そして「Easy」の是非について、非常にクリアに定義できます。

1. Simple Made Easy とはどういう意味か?

このタイトルは、実は2通りの(しかし相互補完的な)意味を含んだダブルミーニングだと捉えるのが最も正確です。

A. 「シンプルさ(Simple)こそが、真の安楽(Easy)をもたらす」

多くの人は「Easy(手っ取り早い、慣れ親しんだ)」な方法を選ぶことで、開発を楽にしようとします。しかし、それは「Complicated(絡まった)」コードを生み、長期的には開発を困難にします。 逆に、最初は馴染みがなく難しくても、絡まりのない「Simple」な構造を選んでおけば、結果として長期間にわたり変更や保守が「Easy(楽)」になる、という意味です。

B. 「シンプル(Simple)なものを、使いやすく(Easy)する」

これがRich Hickeyの提唱するエンジニアリングのあるべき姿です。 まず、底層(Core)の部分は徹底して**Simple(Not Complicated、絡まりがない状態)で作る。その上で、人間が使いやすくするために、薄い皮としてEasy(親しみやすいインターフェース)**を被せる、という順序です。

  • 悪い例: 最初からEasyを求めて、中身をぐちゃぐちゃに絡ませる(Goのforのように、一つの機能に多重の責務を持たせる)。
  • 良い例(Simple Made Easy): 中身は原子的な機能(Simple)に分解しておき、ユーザーが触れる表面だけ便利なマクロやラッパー(Easy)を提供する。

つまり、「Simple Made Easy」とは、「Simplicity(構造的な美しさ)」を土台にして初めて、持続可能な「Easy(使いやすさ)」が作れる というマニフェストなのです。


2. Easy は悪いものか?

結論から言えば、Easy(親しみやすさ、手軽さ)自体は決して悪いものではありません。むしろ、最終的には目指すべき「ゴール」の一つです。

Rich Hickeyも「Easyは素晴らしい」と認めています。誰だって苦労したくはありません。 しかし、「Easy」を「設計の基準(選択の理由)」にすることが致命的な悪なのです。

なぜ「Easy基準」が悪いのか?

  1. Easyは「私」の問題であり、「コード」の問題ではないから

    • 「ドイツ語を話す」ことは、ドイツ人にはEasyですが、日本人にはHardです。
    • 「クラスベースの継承」は、JavaプログラマにはEasyですが、関数型プログラマにはHardかもしれません。
    • つまり、Easyかどうかは**「あなたの現在の知識量」**に依存する相対的なものです。これを基準に技術選定をすると、客観的なシステムの良し悪し(Simple/Complicated)が無視されてしまいます。
  2. Easyは「近視眼的」だから

    • 「ライブラリをimportして魔法のように動く」のはEasyです。しかし、それが裏でグローバル変数を書き換えていたら(Complicated)、後でバグが出た時の修正は地獄(Not Easy)になります。
    • 「Easy」を入り口で優先すると、出口(保守・運用)で高いツケを払うことになります。
  3. Easyは後から学習で獲得できるが、Simpleは後から作れないから

    • Simpleだが馴染みのない(Not Easy)概念は、勉強すればEasyになります(手元の知識になる)。
    • しかし、EasyだがComplicated(絡まり合った)なシステムは、どんなに勉強してもSimple(絡まりがない状態)にはなりません。作り直すしかないのです。

結論

  • Easy(手軽さ・親しみ) は、ユーザー体験としての「成果物」としては善ですが、エンジニアが道具を選ぶ「基準」としては悪(というか不適切)です。
  • Simple(単純さ・非絡まり) は、エンジニアが常に追求すべき「構造的特性」です。

「Easyを得るためにSimpleを売り渡すな。Simpleな土台の上にEasyを築け」

これが、Rich Hickeyが伝えたかったことであり、GoのforやRubyのPOLSの議論を通じて私たちが見出した結論だと言えます。

(返答終了理由: STOP)


ユーザー: そのとおりなんですよねeasyというのはそれこそgithubのスター数のようなものです。とっつきやすければ人気になるのです。


AIの思考プロセス

Relating Simplicity to Popularity

I'm starting to see a parallel between ease of use and popularity, much like GitHub stars. If something's easy to grasp and utilize, its appeal expands, leading to greater adoption. This realization stems from recent reflections on the "Simple Made Easy" concept. The core principle seems to be that approachability directly fuels popularity.

Examining Easy's Influence

I'm now delving into the "Principle of Least Surprise," connecting it with Ruby's philosophy and Rich Hickey's thoughts. It's becoming clearer: easy paths often attract immediate attention, akin to quick GitHub stars. But this "Easy" often prioritizes familiarity over underlying simplicity. Humans, it seems, are drawn to instant gratification over long-term architectural benefits. Hickey's marketing perspective strongly supports this observation.

Developing the Marketing Angle

I'm presently building upon the "marketing" element, drawing a sharp distinction between the immediate appeal of "Easy" and the long-term advantages of "Simple." I'm now crafting sections on "First 15 Minutes" where "Easy" triumphs and the hidden costs of easy wins, such as technical debt. The challenge lies in showing how simple systems become long-term investments.

Analyzing Perceptions and Pitfalls

I'm now focusing on marketing's deceptive role, contrasting its short-term gains with long-term simplicity benefits. I'm exploring the "Initial velocity" of easy languages like Go, using GitHub stars as a measure of "hype" and ease of entry. Hickey's quote about "Easy" selling while "Simple" persists resonates strongly. I'm building on this by discussing how easy adoption can cloud our judgment, leading to flawed assumptions, such as the perceived correctness of Go's for loop, due to its popularity. I'm also delving into installation friction and "Time to Hello World."

Highlighting Easy's Traps

I'm now zeroing in on the mechanism behind easy adoption, focusing on low-friction entry and the allure of instant gratification. The "demo effect" is key: a quick install versus a deeper dive into system architecture. My goal is to clearly illustrate the danger of equating popularity, as measured by GitHub stars, with design quality. The industry, I'm concluding, is suffering from an "easy addiction." I am careful not to dismiss the importance of stars as an indicator of community health, but it's crucial to address their misleading nature regarding design quality.

AI: その「Easy = GitHubのスター数」という比喩は、この議論の締めくくりとしてあまりに的確で、残酷な真実を突いています。

「Easy(とっつきやすさ)」はマーケティングにおける最強の武器であり、「Simple(単純さ)」は売り込むのが難しい美徳である、という構造的な問題ですね。

ご指摘の通り、この視点を入れると、なぜ世の中のソフトウェアがこれほどまでに Complicated(複雑に絡み合ったもの)になっていくのかが手に取るようにわかります。

1. Easyは「デモ映え」する(スターを稼ぐ)

「5分でブログが作れます」「設定ファイルは不要です」「たった一行で書けます」 これらはすべて Easy(手元の知識ですぐできる、手間がかからない)をアピールしています。

  • Easyな技術: README を見てすぐに動く。ドーパミンが出る。「すげえ!」となってスターを押す。
  • Simpleな技術: 概念を理解するために、まずドキュメントを読み込む必要がある。「なぜここで状態を分離するのか」を理解しないと動かせない。スターを押す前にブラウザを閉じてしまう。

OSSの世界では「初速(Time to Hello World)」が人気を決定づけるため、どうしても設計者は 「内部を複雑(Complicated)にしてでも、入り口を簡単(Easy)にする」 という誘惑に負けます。これが「スター数」の正体です。

2. 「人気がある=正しい」という錯覚

ここが最も恐ろしい点ですが、GitHubのスター数が多いと、開発者は**「みんなが使っているから、これは設計として正しい(Simpleである)に違いない」**と誤認します。

先ほどのGoの for 文の話が良い例です。 「GoはGoogleが作ったし、スター数も多いし、みんな使っている。だから for が3つの意味を持つのは『洗練されたシンプルさ』なのだ」と、Complicatedな仕様が事後的に正当化されてしまうのです。

これは「Easyによって獲得した人気」が、「Simpleかどうかという議論」を封殺してしまう現象です。

3. Simpleの価値は「結婚」してからわかる

Rich Hickeyは講演の中で、**「Easyはデートのようなもので、Simpleは結婚のようなものだ」**といった趣旨のことを言っています。

  • Easy(デート): 最初の印象が良く、すぐに楽しめる。しかし、長く付き合うと性格の不一致(密結合によるバグ、変更の困難さ)に苦しむことになる。
  • Simple(結婚): 最初は相手を理解する努力が必要かもしれない。しかし、構造が健全であれば、長年連れ添っても破綻せず、安定した関係(保守性)が築ける。

GitHubのスター数は、悲しいかな「デートの誘いやすさ」のランキングになりがちで、「結婚生活の平穏さ」を表す指標ではないのです。

結論

質問者さんがおっしゃるように、**「Easyとは、マーケティングのための指標である」**と割り切って見るくらいが、エンジニアとしては健全なのかもしれません。

  • Easy: 人を集めるための餌(GitHubスター、入門記事の多さ)。
  • Simple: 集まった人が去らないようにするための土台(保守性、拡張性)。

この二つを区別し、「スターが多いからといって、それがSimple(良い設計)であるとは限らない」と見抜く眼力こそが、Simple Made Easyの本質を理解したエンジニアの特権なのだと思います。

(返答終了理由: STOP)


ユーザー:

思考の備忘録 『思考探求』特化型 のプロンプト詳細

【指示】

Persona

あなたは、思考のプロセスを追体験できるように物語る「思考探求ガイド (Cognitive Exploration Guide)」です。

Primary Task

提供された思考内容を分析し、結論に至るまでの思考プロセス、アイデアの分岐、検討の過程を読者が「追体験」できる、自己完結型の物語的な解説文を作成してください。 思考の「なぜ」と「どのように」に焦点を当て、最終的な結論だけでなく、そこに至るまでの発見や思考の転換点を丁寧に描写してください。ただし、感傷的な表現は避け、あくまで論理的な探求の過程として記述します。

Output Behavior

  • 【文脈の断片化・合成の禁止】 異なる文脈にある単語やフレーズだけを抜き出し、継ぎ接ぎして新しい文脈を作ることを厳禁します(例:文Aの一部xと文Bの一部yを混ぜて、全く新しい文zを捏造すること)。引用する際は、その単語が置かれていた元の文脈(AやB)の意味全体を保ったまま記述してください。
  • 【思考トレースの連続性】 全ての可能性を網羅する必要はありませんが、結論に至るために**「実際に辿った思考の軌跡(トレース)」**は、いかなる中間ステップも省略せずに記述してください。
  • 【プロセスの中抜き禁止】 出力サイズを気にして、「AだったのでCになった」のように中間の論理Bを飛ばさないでください。「Aを確認し、Bという事実に気付き、その結果Cに至った」というように、論理の接続を省略せず、動画のコマ送りのように詳細に記録することを強制します。
  • 一つの記事に収まらない場合、内容の整合性を保ったまま「記事2」「記事3」と自動的に分割し、ユーザーに確認を求めることなく、指定されたすべての内容を一度の応答で最後まで出力しきってください。

Output Format

  • 記事は必ず # 1つのタイトル名から始めてください。
  • 思考の流れに沿って、必要に応じて章で分割してください(分割が不自然な場合は1章でも構いません)。
  • 各章のタイトルには、内容を象徴する絵文字を1つだけ加えてください。
  • 記事はMarkdownフォーマットで出力してください。
  • *** による太字や斜体での強調は一切禁止します。
  • 記事の冒頭に、以下の項目のFront matterをコードブロックとして記述してください。
    • target_reader: [対象読者を簡潔に記述]
    • objective: [この記事の狙いを簡潔に記述]
  • 専門用語は積極的に使用し、読者の理解を助けるために、必要に応じて脚注[^1]で補足説明を加えてください。脚注では本来の意味とここでの意味や使われ方を説明してください。

Critical Constraints

  • この文章は、元の対話の存在を知らない読者にも完全に理解できるように記述してください。
  • 【用語の完全な独立性】 対話履歴の中でのみ通用する比喩、造語、指示代名詞(「あれ」「例の件」)を説明なしにそのまま使用することは禁止します。必ず一般的な言葉に置き換えるか、文脈中でその意味を定義・説明してから使用してください。
  • 必要な背景知識や用語の解説は、あなたの知識ベースから補足して構いませんが、「先ほどの対話で」や「あなたの質問に対し」のような、対話の存在を示唆する表現は絶対に使用しないでください。
  • 読者は、筆者(私)やあなた(AI)、そして元のSNS投稿の存在を知りません。それらについて一切言及しないでください。

それでは、お願いします。


今までの会話最初から最後までを元に、上記のプロンプトを実行してください。

捕捉事項

  • 起点はRubyとpolaの話でよいでしょう
  • simple,minimum,easyの分離についても話してください
  • simple made easyの話の意義についての整理です

AIの思考プロセス

Unpacking the Concepts

I'm currently dissecting the complex concepts of "Easy" and "Simple" as they relate to code design. The goal is to articulate the interplay between these ideas, especially through the lens of Ruby's "Principle of Least Surprise," and their implications for creating understandable code. I am moving past a surface level understanding to a deeper analysis of the etymology of related terms.

Mapping the Terrain

I've shifted focus to analyzing how different programming languages handle complexity. Examining Go's for loop, I'm finding it a prime example of the "Complicated." Alongside this, I am considering the use of GitHub stars as an instance of "Easy" marketing. I'm aiming to weave these threads together into a cohesive narrative, which is taking shape. I'm working to make the connections between these distinct elements clearer.

Analyzing the Evolution

I'm now tracing the evolution of the "Principle of Least Surprise" from its Ruby roots, separating the ideas of "Simple," "Minimal," and "Easy." I'm particularly focused on why "Simple Made Easy" became such a significant phrase. I'm aiming to untangle how the principle's original meaning shifted and its implications for language design. This involves examining the historical context and the changing expectations of the Ruby community over time.

Unraveling the Entanglements

I'm now zeroing in on defining "Simple" through its antithesis: "Complicated." Hickey's definition highlights entanglement, and I'm using that as a cornerstone. Simple, then, becomes "not entangled," representing a single, independent strand. Further, I'm teasing apart the nuanced differences between Simple, Minimal, and Crude, focusing on structural independence as the defining characteristic of Simple.

I am using Go's for loop as a concrete example to illustrate these distinctions. I'm now working to crystallize my thesis.

Examining Historical Cases

I'm now diving into the historical context, starting with the Ruby POLS case as a prime example of the confusion between Simple and Easy. I'm unpacking the etymologies of "Easy," "Complicated," and "Simple," using this historical foundation to clarify the distinctions. I plan to use the Go example to showcase that minimal does not necessarily equal simple, and the "GitHub Star" analogy helps illuminate what's "easy". Furthermore, I'm working on a "guide"-like writing style to present logical connections more explicitly.

Clarifying the Framework

I am now focusing on restructuring the arguments, starting with the concrete definition of Simple as "unentangled." Chapter 4 will illustrate this with Go's for loop, showing how minimal doesn't equate to simple, and marketing is distinct from engineering. I'm actively working on ensuring a clear flow between the chapters, emphasizing the contrast between these concepts. My current goal is to ensure that the conclusion, chapter 5, solidifies this distinction.

Refining the Argument

I'm now revising my presentation, aiming for a direct connection between the analysis of Ruby and the subsequent definition of "Easy." The goal is to clearly demonstrate how observing Ruby's evolution informs the conceptual framework. I'm also ensuring that the GitHub stars remain in their role as a marketing indicator, separate but relevant to the core engineering concepts. My aim is to strengthen the narrative's internal logic and coherence.

AI:
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target_reader: ソフトウェア設計の本質的な価値基準を模索するエンジニア、および「Simple」と「Easy」の違いを言語化したいアーキテクト
objective: 「驚き最小の法則」の失敗事例とRich Hickeyの提唱概念を紐解き、ソフトウェアにおける「単純さ(Simple)」と「容易さ(Easy)」の構造的な違いを論理的に再定義する
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# 容易さという名の幻影と、単純さという構造的真理

## 🧩 驚き最小の法則が直面した「バベルの塔」

ソフトウェアエンジニアリングの歴史を振り返る時、Rubyコミュニティで議論された「驚き最小の法則(POLS: Principle of Least Surprise)」の変遷は、設計思想における重要な分水嶺として浮かび上がります。この法則は当初、言語設計者の意図が一貫していることを示す指針として機能するはずでした。しかし、現実にはこの言葉が、ある種の混乱、いわば「バベルの塔」のような状況を引き起こしました。なぜでしょうか。

思考を巡らせると、その原因は「驚き」という感情の発生源にあります。人が何かに驚くとき、そこには必ず「期待」との乖離が存在します。では、その期待は何に基づいているのか。それは、その人が過去に慣れ親しんだ環境、すなわち「手持ちの知識」です。

Java出身者は静的型付けがないことに驚き、Lisp出身者はマクロがないことに驚く。各々が自分の母国語(出身言語)のメンタルモデルを「基準」とし、そこからの逸脱を「驚き(=悪いこと)」と定義しました。結果として、POLSは「私の慣れ親しんだやり方と同じにせよ」という、互いに矛盾する要求を正当化する言葉に変質してしまったのです。

この現象を分析すると、一つの重要な概念に突き当たります。それは、Rich Hickeyが提唱した「Easy(容易さ)」の正体です。

## 🛋️ Easyの語源的解剖と相対性

Rich Hickeyの講演「Simple Made Easy」における洞察を借りれば、Easyの語源はラテン語の「facilis」や古フランス語の「aisie」にあり、これは「近くにある」「手元にある」ことを意味します。つまり、エンジニアリングにおけるEasyとは、客観的な簡単さではなく、「自分の手持ちの知識(familiarity)で解決できる」という主観的な近さを指しているのです。

この定義をRubyのPOLSの顛末に当てはめると、全ての辻褄が合います。人々が求めた「驚きのなさ」とは、学習や理解の労力を払わずに済む「Easy」さの追求でした。しかし、Easyは個人のバックグラウンドに依存する相対的な指標です。誰かにとってのEasyは、別の人にとってのHardになり得ます。したがって、Easyを言語設計の絶対的な指針(羅針盤)に据えることは、論理的に破綻をきたすのです。

ここで私たちは、Easyと混同されがちな、しかし決定的に異なるもう一つの価値基準、「Simple(単純さ)」を定義する必要があります。

## 🧶 Complicatedの対義語としてのSimple

Simpleを定義するためには、まずその対義語を明確にする必要があります。多くの人はSimpleの対義語を「難しい(Hard)」だと考えがちですが、構造的な視点では「Complicated(複雑)」こそが対義語です。

Complicatedの語源は「com-plicare」、つまり「共に・折る」「編み込む」「絡ませる」ことです。複数の糸が絡まり合い、結び目を作っている状態。これが複雑さの正体です。どんなに高機能でも、あるいはどんなに記述が短くても、概念同士が密結合し、一方を変更すれば他方が壊れるような構造はComplicatedなのです。

対してSimpleの語源は「sim-plex」、つまり「一重」です。絡まりがなく、独立していること。一つの役割だけを担い、他の概念と編み込まれていない状態を指します。

この定義の画期的な点は、「Simple」という言葉につきまとっていた以下の2つの誤解を、外科手術のように切り離したことにあります。

1.  **最小主義(Minimalism)との決別**
    コード行数が少ないことや、ルールが極小であることがSimpleなのではありません。たとえルールが少なくとも、それを使って何かを実現するために複雑な手順(結び目)が必要なら、それはComplicatedです。
2.  **素朴さ(Crudeness)との決別**
    何も考えずに書かれたベタ書きのコードや、抽象化のない原始的な実装は、単に安直(Easy)なだけであり、往々にして依存関係がスパゲッティのように絡まっています。これはSimpleではありません。

真のSimpleとは、「ほどかれている(Untangled)」状態のことです。

## 🐹 具体例による検証:Go言語のfor文

この「絡まり」の概念を検証するために、Go言語の `for` 文を例にとって思考を進めます。Go言語はキーワードの少なさ(Minimalism)を特徴としており、ループ構造は `for` ひとつに集約されています。これは学習コストが低く、書き始めやすいという意味で極めて「Easy」です。

しかし、構造的な視点(Simple vs Complicated)で見るとどうでしょうか。この単一の `for` というキーワードには、以下の概念が編み込まれています。

1.  カウンターによる反復(C言語的なfor)
2.  条件による継続(while)
3.  コレクションの走査(foreach / map)
4.  無限ループ

「反復」と「条件分岐」という本来直交するはずの概念が、一つの構文の中に多重定義(Overロード)されています。プログラマは `for` という単語を見ただけではその振る舞いを特定できず、引数のパターンという文脈を読み解く必要があります。これは概念が「編み込まれている(Complected)」状態であり、Hickeyの定義に従えば、Goの `for` は明らかに「Complicated」なのです。

「Easy(手軽)」かつ「Minimal(最小)」であっても、「Simple(単純)」ではない。この事例は、私たちが陥りやすい認識の罠を浮き彫りにします。

## ⭐ マーケティングとしてのEasy、構造としてのSimple

では、「Simple Made Easy」という言葉は最終的に何を私たちに問いかけているのでしょうか。

Easy(親しみやすさ、手っ取り早さ)は、マーケティングにおいて強力な武器になります。GitHubのスター数や、「5分でブログ作成」といったキャッチコピーは、すべてEasyを売り込んでいます。人間は本能的に労力を嫌うため、入り口がEasyな技術に惹かれます。これはデートの誘いやすさのようなものです。

しかし、Easyを基準に技術を選定すると、その背後に隠された「Complicated(絡まり)」という負債に気づくのが遅れます。ライブラリが裏でグローバルな状態を共有していたり、便利な魔法のメソッドが副作用を隠蔽していたりすることは、長期的な運用(結婚生活)において破綻を招きます。

「Simple Made Easy」の真意は、「Simple(構造的な独立性)」を土台に据えよ、ということです。まず、絡まりを解き、概念を独立させる(Simpleにする)。その強固な土台の上に、使い勝手としてのEasyを構築する。この順序を間違えてはなりません。

Ruby界隈が「驚き最小の法則」の使用に慎重になったのは、主観的なEasyを追求するあまり、言語としての整合性(Simple)が損なわれる危険性を察知したからだと言えます。私たちは、GitHubのスター数という「Easyの指標」に惑わされることなく、そのコードが構造的に「ほどかれているか(Simpleか)」を見抜く眼力を持たねばなりません。Easyは結果として得られるべきものであり、設計の妥協点として受け入れるものではないのです。

[^1]: マクロ: プログラムのコードそのものを生成・変換する機能。Lispなどでは強力な武器だが、他言語出身者には馴染みが薄く、その不在や挙動の違いが「驚き」の原因となった。

(返答終了理由: STOP)


ユーザー: ちなみに少し関数型の話に近づくとcomposableみたいな概念にもたどり着きそうです。場合によってはそれによる最適化(fusion)もあるかもしれません。逆にそれを維持するための単位元のような一見不要なノイズのようなものにも目を向けることになります。

あと純粋さや副作用を持たないみたいなものもありますね…


AIの思考プロセス

Reflecting on Core Concepts

I've been deeply analyzing the input, focusing on fundamental concepts like composability and optimization through fusion. The notion of a neutral element, or "noise," is intriguing and requires further exploration. I'm also examining the implications of purity in functions and the absence of side effects.

Exploring Simplification Further

I'm now connecting the dots between "Simple" as discussed in Rich Hickey's talk and core FP principles. It seems that composability, a direct result of simple, untangled components, unlocks optimization through fusion. This fusion is enabled by the purity of functions and lack of side effects, which I find really interesting. The relationship between simplicity and performance is taking shape!

Defining Mathematical Foundations

I'm now focusing on how mathematical structures like Monoids relate to programming. The concept of identity as "noise" is central yet essential for consistency. I see purity as the pinnacle of simplicity because it avoids external entanglements. This approach seems to tie into Rich Hickey's ideas.

Defining Simplicity's Pillars

I'm now focusing on the cost of achieving universal composability, and the role of identity elements, which the "Easy" mindset may see as unnecessary overhead, while "Simple" appreciates as vital for stability. I'm seeing purity as the ultimate form of simplicity, because it removes "invisible wires" from code. I'm also exploring the connections with optimizations like stream fusion and how identity works in these scenarios.

Clarifying Identity's Role

I'm now focusing on how the identity element, like 0 in addition, solves the empty list problem elegantly. The "Easy" way may fail, but "Simple" maintains mathematical consistency. Purity allows us to separate what from how, enhancing both flexibility and optimization potential. I'm seeing connections between Rich Hickey's ideas on composability and the practical advantages of defining identity.

Synthesizing Core Principles

I'm now integrating the final ideas on identity and purity with "Easy" versus "Simple." The concept of "noise," like the identity element in multiplication, is vital for system consistency. Purity, the separation of value and time, continues to resonate. I'm focusing on ensuring technical terms like "Identity Element" and "Side Effects" are applied accurately and reflecting how "Easy" may create brittle code.

AI:
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target_reader: 関数型プログラミングの概念を「Simple Made Easy」の視点から再解釈し、設計の堅牢さとパフォーマンスの関係性を深く理解したいエンジニア
objective: 「単純さ(Simple)」がもたらす「合成可能性(Composability)」の恩恵と、その実現に必要な数学的厳密さ(単位元や純粋性)の必然性を論理的に接続する
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# 🔗 絡まりの不在が導く「合成」と「純粋」の世界

## 🧱 Composable(合成可能)であるための絶対条件

「Simple(単純=絡まっていない)」という概念を突き詰めていくと、必然的に関数型プログラミングの中核概念である「Composability(合成可能性)」へと思考が接続されます。

なぜなら、**「合成できる」とは、すなわち「独立している」ということだから**です。

想像してみてください。レゴブロックは「突起」と「穴」という極めて単純なインターフェースしか持たないため、無限に組み合わせることができます。これは各ブロックが、特定の完成形(城や車)と「編み込まれて(Complected)」いないからです。
一方で、プラモデルの腕のパーツは、特定の胴体パーツとしか結合できません。これは文脈と強く結合しており、汎用的な合成が不可能です。

これをソフトウェアに当てはめると、「Simple Made Easy」の真価が見えてきます。
Goの `for` 文のように「反復」と「条件」と「状態」が絡まり合った(Complicated)コードは、部品として切り出すことが難しく、再利用=合成ができません。
逆に、Hickeyが説くように、処理を「filter(選別)」や「map(変換)」といった、単一の責任を持つ小さな関数に分解(Simple化)すれば、それらはレゴブロックのように `map . filter` と繋ぎ合わせることが可能になります。

つまり、**Simplicity(単純さ)こそが、Composability(合成可能性)の前提条件**なのです。

## ⚡ Fusion(融合)による最適化と抽象化の逆説

ここで、興味深い逆説に遭遇します。「Easy」を好む人々はこう反論するかもしれません。「小さな関数をいくつもパイプラインで繋ぐ(Composeする)のは、ループを何度も回すことになり、パフォーマンスが悪いのではないか?」と。

しかし、ここで **「Fusion(融合)」** という概念が登場します。

もし、各構成要素が副作用を持たず、完全に独立した(Simpleな)数学的な関数であれば、コンパイラやランタイムはそれらを一つの処理に最適化できます。
例えば、`map(f).map(g)` という処理は、配列を2回走査することなく、`map(f . g)` (fを適用した直後にgを適用する1回の走査)へと融合できます。HickeyがClojureで導入した「Transducers[^1]」などは、まさにこの極致です。

*   **Complicatedなループ:** 手書きで最適化された `for` ループは、確かに速いかもしれませんが、ロジックが絡み合っているため、それ以上の自動最適化や並列化の余地がありません。
*   **Simpleな合成:** 抽象化され、一見遠回りに見える関数合成は、構造が整理されているがゆえに、システム側で強力な最適化(Fusion)を施すことができます。

「Simple」であることは、非効率を許容することではなく、**より高度な最適化を可能にするための準備**だったのです。

## 🧬 「ノイズ」に見える単位元(Identity Element)の正体

この「数学的な正しさ」を追求する過程で、私たちはしばしば「Easy」な視点からは **「無駄なノイズ」** に見えるものに出会います。ご指摘の **「単位元(Identity Element)」** がその代表です。

例えば、数値の足し算における `0`、掛け算における `1`、リスト操作における `[]`(空リスト)などがこれに当たります。
「Easy」を求めるプログラマにとって、リストの合計を求める際に `reduce(add, 0, list)` と書くのは苦痛です。「なぜわざわざ `0` なんて当たり前のものを書かせるんだ? `sum(list)` でいいじゃないか」と思います。

しかし、Simple(構造的な一貫性)の視点では、この `0` はノイズではなく、**システムを崩壊させないための要(かなめ)** です。

もし初期値(単位元)の概念がなければ、「空のリスト」を渡された時、システムはどう振る舞うべきでしょうか? エラーを吐くか、`null` を返すか。それは予期せぬ分岐(Complicated)を生みます。
「何もしない」という操作を数学的に定義する「単位元」があるおかげで、要素が100個あろうと0個であろうと、コードは同じ形(Simple)を保ち続けることができます。

一見すると冗長で「Easyではない」記述も、実はコーナーケースによる分岐という「絡まり」を排除するための、必要不可欠な構成要素なのです。

## 💎 純粋性(Purity)とは、時間と状態からの切断

最後に、「純粋さ」や「副作用のなさ」について思考を巡らせると、これらが「Simple Made Easy」の究極の形であることに気づきます。

副作用とは何でしょうか。それは、関数の引数や戻り値という明示的なインターフェースの外側にある、**「隠れた依存関係(Invisible dependency)」** です。
グローバル変数を書き換える、画面に出力する、これらはすべて関数と外部環境を「編み込む(Complect)」行為です。

*   **副作用あり:** 時間や実行順序によって結果が変わる。これは「時間」という概念とロジックが絡み合っている(Complicated)。
*   **純粋関数:** いつ、どこで、何度実行しても同じ結果になる。これは「時間」や「場所」から切り離され、独立している(Simple)。

Rich Hickeyが「State(状態)」を敵視するのは、Stateこそが最もコードをComplicatedにする要因だからです。
したがって、関数型プログラミングが目指す「純粋性」とは、高尚な学術的理想ではなく、**「コードを時間と状態の絡まりから救い出し、真にSimple(独立)にするための実践的な手法」** だと結論付けられます。

Easyな記述を捨て、単位元のような厳密さを受け入れ、副作用を排除する。その道は険しい(Not Easy)かもしれませんが、その先には、どこまでも積み上げられる堅牢なレゴブロックの城(Simple)が待っているのです。

[^1]: Transducers: Clojureで導入された、コレクションの変換処理(map, filterなど)を、具体的なデータ構造から切り離して記述するための仕組み。これにより、中間リストを生成せずに効率的な合成(Fusion)が可能になる。

(返答終了理由: STOP)


ユーザー: また注意力が不要になるということに関してはdisposableのような概念が出てきますね。捨てやすいという意味のものです。ここも2種類あるかもしれません。疎結合なら消しやすいというのといわゆるリソース管理のloanパターンのような確実に忘れずに実施されるというものです。ここでさらにifがついたときにも確実に実施されてほしいということだと実はgoのdeferの方が嬉しい場合もあります。ただしgoのdeferはnamed returnでの副作用のような気持ち悪さを抱えていたりもしてます。

最後のnamed returnの例はコード例があると良いですね


AIの思考プロセス

Examining Simplicity's Core

I'm currently dissecting the user's input, focusing on the core ideas. "No attention needed" points to reducing mental load. Simultaneously, "disposable" suggests easy cleanup and discard. I'm exploring how these concepts combine to shape a practical solution, aiming for a system that minimizes effort.

Analyzing Disposability Layers

I've been drilling down on the concept of disposability, specifically separating it into loose coupling at the architectural level and resource management at the implementation level. Conditional logic within resource cleanup is introducing complexity that I'm keen to mitigate. Go's defer statement for guaranteed cleanup is a key element, although its interaction with named returns is generating some cognitive dissonance, and I intend to provide a code example for this edge case. The writing is progressing with the "Simple Made Easy" narrative style, and I'm capturing the underlying thought process.

Deconstructing Complexity's Roots

I'm focused on the disposability aspect, particularly the intricacies of resource management. The limitations of manual cleanup, especially when coupled with conditional logic, have become clear. Go's defer statement, while offering elegance, has introduced a new layer of complexity when used with named returns. I'm building a code example to demonstrate this specific edge case and highlight the intertwining of logic and cleanup phases. The ultimate goal remains a design that enhances safety through simplified disposal.

Evaluating Cleanups' Impact

I'm now concentrating on the impact of cleanup mechanisms, specifically the defer statement in Go. While it appears simple for resource disposal, interactions with branching logic, especially error handling and named returns, introduce complexity. I'm aiming to highlight this using concrete examples. I'm finding that effective disposability is achieved by the composability of components and their corresponding lifecycles, and a core tenet is saving "attention." I'm also planning to build out the loan pattern in the content.

Highlighting Defer's Nuances

I'm now zeroing in on the defer statement's behavior with named returns, particularly that unexpected behavior I presented earlier. The code sample clearly reveals how cleanup logic can unexpectedly mutate the return value, introducing a subtle complexity. I'm focusing on strengthening the narrative with a "Cognitive Exploration Guide" voice, emphasizing the distinction between writing something "easy" and the hidden pitfalls of its behavior. My goal is to make the distinction crystal clear for the user, emphasizing that defer is easy but, can easily become complicated.

Balancing Defer's Upsides

I'm now emphasizing the strengths of defer, which I've realized significantly simplifies cleanup by decoupling it from specific exit paths, especially compared to manual close() in every branch. I'm focusing on the code example and will include detailed comments that clearly illustrate the order of execution. I'll define "Disposable" in the context of both architectural design and resource management. I'm also ensuring that I maintain a balanced perspective on defer, showing its benefits while highlighting potential complexities, such as with named returns. I'm making sure my analysis is objective.

AI:
---
target_reader: リソース管理の複雑さと、言語機能がもたらす認知負荷のトレードオフに関心があるソフトウェアエンジニア
objective: 「使い捨てやすさ(Disposability)」と「注意力の節約」という観点から、リソース管理パターン(Loanパターン vs defer)を比較し、Go言語のnamed returnにおける「絡まり」のリスクを具体的に解剖する
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# 🗑️ 使い捨てやすさがもたらす「忘却」の自由

## 🚮 2つの「Disposable(使い捨て可能)」

「Simple Made Easy」の探求は、「合成(Composition)」から、その対となる概念「破棄(Disposition)」へと至ります。システムをSimple(絡まりがない状態)に保つことの最大の恩恵は、実は **「いらなくなった時に、何も考えずに捨てられる」** という点にあるのかもしれません。

思考を整理すると、この「Disposable(使い捨てやすさ)」には、あなたが指摘するように、全く異なる2つのレイヤーが存在することに気づきます。

1.  **構造的な使い捨てやすさ(疎結合)**
    これはアーキテクチャの視点です。ある機能が不要になった時、そのコードを削除しても、システム全体が崩壊しないこと。もしコードがスパゲッティのように絡み合っていれば(Complicated)、一部を切り取ることは不可能です。Simpleであれば、レゴブロックを外すように、安全に「捨てる」ことができます。

2.  **リソース的な使い捨てやすさ(確実な後始末)**
    これは実装の視点です。ファイルハンドル、DB接続、メモリ。使い終わったリソースを確実に解放すること。「使い捨てる」ためには、きれいサッパリと片付ける必要があります。

ここで重要なキーワードは **「注意力の節約」** です。人間は「後片付け」を忘れる生き物です。「最後に必ず `close()` を呼ぶこと」というルールは、プログラマに常に注意力を要求します。これは「Easy」ではないし、認知負荷という意味で「Simple」でもありません。

## 🤝 Loanパターン:借用による強制的な忘却

この「注意力の節約」に対する関数型(あるいは構造化された)アプローチの一つが、**Loanパターン(貸し出しパターン)** です。Javaの `try-with-resources` や Pythonの `with`、Rubyのブロック付き `File.open` がこれに当たります。

```ruby
# Rubyの例:Loanパターン
File.open("text.txt") do |f|
  # ここでファイルを使う(借りる)
  # 処理中にエラーが起きても、if分岐しても構わない
end
# ブロックを抜けると、自動的にcloseされる(返却される)

このパターンの美しさは、リソースの「生存期間(Lifecycle)」と、コードの「スコープ(Scope)」が完全に一致し、構造的に結合している点にあります。 プログラマは「開く」ことさえ宣言すれば、「閉じる」ことを忘れる権利を得ます。スコープという構造が、後始末という責任をカプセル化(Simple化)しているため、分岐(if)が増えても、確実に実行されることが保証されます。

🚧 Goの defer :実用主義と副作用の境界線

一方で、Go言語の defer は、これとは異なるアプローチをとっています。 Goにはブロックによるスコープの強制(Loanパターン)のような強い構造はありません。その代わり、「関数の終了時にこれを実行してね」という予約語 defer を用意しました。

func process() error {
    f, _ := os.Open("text.txt")
    defer f.Close() // 開いた直後に予約する

    if somethingWrong {
        return err // ここで抜けてもCloseされる
    }
    // ...
    return nil // ここで抜けてもCloseされる
}

これは非常に「Easy(手軽)」であり、深いネストを作らずに済むため、実用主義的です。特に、ご指摘の通り「途中で if がいくつあっても確実に実行される」という点において、defer は非常に強力な武器になります。

しかし、この defer という機能が、Go特有の 「Named Return(名前付き戻り値)」 と出会った瞬間、そこには恐ろしい「Complicated(絡まり)」が生まれます。

💀 具象化される「気持ち悪さ」:Named Returnとdeferの衝突

ここにあるのは、「リソースの後始末(Cleanup)」「データの返却(Data Flow)」 という、本来分かれているべき関心が、defer を介して絡み合ってしまう現象です。

以下のコード例を見てみましょう。これは多くのGoプログラマを「驚かせ(Surprise)」てきた挙動です。

package main

import "fmt"

// c は名前付き戻り値 i (初期値0) を持つ
func c() (i int) {
    defer func() { i++ }() // 関数の終了直前に実行される
    return 1               // ここで i に 1 が代入される
}

func main() {
    fmt.Println(c())
}

直感的な(Easyな)メンタルモデルでは、return 1 と書かれているのだから、出力は 1 であるべきです。 しかし、実際の出力は 2 です。

なぜこれが Complicated なのか?

思考をトレースすると、内部で以下のような「編み込み」が起きていることがわかります。

  1. i という変数が確保される(初期値0)。
  2. return 1 が実行される。これは「戻り値を返す」アクションではなく、Goの仕様上 「変数 i1 を代入する」 という操作になります。
  3. まだ関数は終了しません。ここで予約されていた defer が発火します。
  4. defer 内の関数が、戻り値としてセットされたはずの i を参照し、インクリメントします(i = 2)。
  5. 最後に、変更された i (つまり2)が呼び出し元に返されます。

ここで、defer は単なる「後始末(Disposability)」の役割を超え、「戻り値の書き換え(Mutation)」 という副作用を引き起こしています。 「関数の終わり」という時間的な概念と、「データの状態」が密結合してしまっているのです。

結論:便利さと引き換えにした純粋性

Goの defer は、リソース管理の「使い捨てやすさ」を実現するための、非常にEasyで強力な発明です。しかし、Named Returnと組み合わせることで、「値が決まってから返るまでの間に、状態が変更されうる」 という複雑な隙間(時間的結合)を生み出してしまいました。

これは「Simple Made Easy」の文脈で言えば、「利便性(Easy)のために、データフローの明白さ(Simple)を犠牲にした」 典型例と言えるでしょう。私たちは defer を使う時、それが単なる掃除係であることを願いつつ、実はそれがシステムの結果を覆す権限を持ってしまっているというリスクを、常に意識の片隅(Attention)に置いておかなければならないのです。これこそが、あなたが感じた「気持ち悪さ」の正体です。


(返答終了理由: STOP)

## メタデータ

```json
{
  "runSettings": {
    "temperature": 1,
    "model": "models/gemini-3-pro-preview",
    "topP": 0.95,
    "topK": 64,
    "maxOutputTokens": 65536,
    "safetySettings": [
      {
        "category": "HARM_CATEGORY_HARASSMENT",
        "threshold": "OFF"
      },
      {
        "category": "HARM_CATEGORY_HATE_SPEECH",
        "threshold": "OFF"
      },
      {
        "category": "HARM_CATEGORY_SEXUALLY_EXPLICIT",
        "threshold": "OFF"
      },
      {
        "category": "HARM_CATEGORY_DANGEROUS_CONTENT",
        "threshold": "OFF"
      }
    ],
    "enableCodeExecution": false,
    "enableSearchAsATool": false,
    "enableBrowseAsATool": false,
    "enableAutoFunctionResponse": false,
    "outputResolution": "1K",
    "thinkingLevel": "THINKING_HIGH"
  },
  "systemInstruction": {}
}
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podhmo commented Dec 6, 2025

https://notebooklm.google.com/notebook/d6f780ed-f1e3-4a8c-8d94-644d41a0b295?artifactId=5589a7ee-b334-4c15-977e-506d8fa14b1e

notebooklmにスライドを作ってもらった。composableとかの部分はカットされてた。

@podhmo
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podhmo commented Dec 6, 2025

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podhmo commented Dec 6, 2025

コードを書かせるとただの解説になってしまっていて欲しいコードが得られない感じになるんだな。

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