これはpyspa Advent Calendar 2025の6日目のエントリーである。
会社のブログに、いままでのプログラミングの慣習とかプラクティスを全部取り払って、新規で構築するとどうなるだろうか、というのを考えてパターンランゲージ化した記事を投稿した。eXtreme Programmingのスタイルを真似て書いてみた。
これを書いた時は、ある程度、熟練の開発者の方ができるだろう、という想定ではあったが、先日Opus-4.5を使ってみたら、バグの原因を探るのに、ライブラリのリポジトリのissueを探索して該当のバグを見つけてきて、修正されていないのを確認した上で回避策を実装するということをやってきた。人間なら1日、もしくは1週間ぐらいかかったかもしれない。それが10分である。
動くように正しく作る、という能力は並列で疲れ知らずというのをおいても、メモリが高くなりすぎてAIの価格が10倍とかにならない限りは勝負するフィールドを変えるしかないな、という気持ちが強くなったのを感じた。
そうなると、もう勝負としては「良い仕様を出すセンス」というところで、他の人と勝負していくことになる。
すでにそのような世界で勝負している人たちはいる。ゲームのプロデューサーと呼ばれる人たちも、自分でコードを書くとかゲームデザインをすごくするというわけではなく、絵をばっちり描くということも大作になる程減ってくるだろう。プロデューサーは作品の方向性を決める。そしてお金を集めて組織を作って・・・となる。AIで開発する分にはAIを動かす程度のお金で、組織もAIなのでそこはあまり気にしないとして、方向性とか手触りとかそういうのに特化して、全体をディレクションしていくしていく仕事である。
そしてもう1つは宣伝と広告であろう。
もちろん、そんなのは無視して、じっくり盆栽を趣味とするのも良いとは思う。ただ、AI時代にあってはそのような手作りはよっぽどのモチベーションが無ければおこなわれないということで、それもプロデュースの一環とはなるであろう。
そして、そのようなプロデュースを続けていくことで、個人をPRしていくということになる。そして個人にファンがつけば、そのファンを喜ばせるために作品を作りつづけるということになるであろう。
奇しくも、数日前のshiumachiのエントリーと結果の方向性は似てしまった。
センスを磨くにはどうすればいいのだろうか。これはもう周りとワイワイ議論し、こっちの方がスマート、こっちの方がかっこいい、といった会話をしていくことで自分の中のセンスを形にしていくことと、外部からどう見えるかといった視野を獲得することに尽きるだろう。我々に必要なのは現代のトキワ荘なのだろう。このアドベントカレンダーのpyspaは間違いなくプログラマーのトキワ荘という気はする。ここでもらったアイディアで本の原稿の方向性を変えたり、雑誌の記事を補正したりといったことは枚挙に遑がない。センスを磨くには単に褒めてくれるだけではなく、ダメなもの、ダサいものはダメ、ダサいと言ってくれる仲間が大切である。